 
              <1つ前に戻る|体験談トップ 
               新宿区 三浦 史さん 女性 大腸がん・肝臓、肺転移 平成13年9月入会
              「今をしなやかに生きる 」 
                私は、北海道O市から、病気治療のために上京しています三浦と申します。今は、東京で就職している娘たちと、病院の近くにマンションを借りて生活しています。 
                 今回、私の病気体験談の話をさせていただく機会を頂戴致しましたが、今まさに病気の途中にいますので、心の整理もできていません。つたない話になる事と思いますが宜しくお願い致します。 
               2000年の3月、身体のだるさと血便のため、地元の病院に行き、その場で入院して大腸検査を受けるようにいわれ、1週間後、大腸と肝臓のエコーと生検(肝臓の組織をとる)の検査を受け、その後に、大腸のS字結腸ガンと転移性肝臓ガンの、告知をひとりで受けました。 
               ある程度覚悟はしていましたので、先生の説明を、はっきり落ち着いて聞いていました。ひとつのガン告知なら動揺もしたかもしれませんが、2つも、まして進行ガンといわれましたので、あとどのくらいですか、と聞きましたら、濁していいませんでしたが、私には時間がないのだと思いました。後で、家族に聞きましたら、持って6ヶ月位と告知されたそうです。 
               死を意識し、残る家族が困らない様に、身の回りの整理をしなければと思い、すぐ実行しました。また、家族、姉妹、親、友達など大切な人が病気で苦しむのは忍びないので、私が病気になって本当によかったと思いました。 
               地元の病院では、大腸は手術できるのですが、肝臓のほうは右門脈に触れて手術は不可能と言われました。 
                 娘が以前勤めていました、K・K医療センターで両方手術できる望みがありましたので、東京で治療することにしました。 
               雪が残る北海道から来ましたので、宿泊先のホテルの前の、日比谷公園の桜や色とりどりの草花がとてもきれいで、散策しているとなぜか自然と不安がなくなり、手術が成功する予感がしました。日比谷花壇で、私の大好きなランの花を沢山買い求め、かかえて入院しました。 
               その日に娘がお世話になりました色々な方々が、病室に来て下さり、先生も医療スタッフの方々もみえて、誰が誰だかわかりませんでしたが、みなさんの熱意が伝わってきました。看護師さんたちも、娘のもと同僚の方々でしたので、安心することができました。 
                  
                 大腸ガンにはじまり、肝臓に2回、肺に2回転移し、2年間で7回の手術を経験いたしました。 
                 その病状と手術内容を簡単にお話させて頂きます。 
              1.進行性S字状結腸ガン 1回目の手術 
                 2000年4月24日 
                 大腸を20cm周囲のリンパ節も含めて切除しました。 
                 胆嚢も切除し、肝臓に直接抗がん剤を注入するため動脈にカテーテルを入れ腹部にリザーバーを取り付けるという8時間の手術でした。手術の次の日、体中管だらけで、背中に硬膜外麻酔があるのにもかかわらず、痛みとだるさで、ぐったりしているところに、術後の合併症を防ぐため、ベットから起きるようにうながされ、やっとの思いで起きた記憶があります。 
                 薄紙をはがすように、少しづつ回復して、ガスが出、少しですがきれいな色の便が出たときには、まわりの人達と喜び本当に感動しました。 
                 入院期間は、72日間でした。 
                 入院中リザーバーから抗がん剤治療6回、そしてAEA(肝動脈閉塞療法)を2回行いました。 
                 退院後、抗がん剤治療は、外来で4回受けました。 
                 その結果、腫瘍も半分位に小さくなり、肝臓の手術ができる可能性がでてきました。 
              2.門脈閉塞手術 2回目の手術 
                 2000年10月21日 
                 肝臓の手術を行うにあたって、肝臓の右葉を壊死させ、左葉の肝臓を手術に耐えれるように、大きくする手術をしました。 
                 入院期間は28日間でした。 
               
                3.転移性肝臓ガンの手術 3回目の手術 
                  拡大肝右葉切除・左葉部分切除術 
                 2000年12月12日  
                 1番大掛かりで大変な手術でした。 
                 肝臓全体の65%を切除しました。出血3000cc、輸血2000cc 
                 手術中に、初めて臨死体験をも経験しました。 
                 手術時間は10時間でした。 
                 術後、ICUに入ったのですが、吐き気と傷の痛み、それに機械の音、人のうめき声などとても耐えられず、2日目で自分の個室に戻させてもらいました。静かで家族も一緒なのでやっと落ち着きました。 
                 順調に回復していましたが、2週間目ぐらいから急に39度、40度の高熱が出、だるさと尿が出なくなり、合併症があらわれました。肺に水がたまり、呼吸もとぎれとぎれで、背中から管を入れて850ccの胸水をぬきました。 
               今回は私自身ももう限界かと思っていましたが、後で聞いたのですが先生方も、同じように思っていたみたいでした。 
                 お正月休みも返上して、先生方は、少しでも症状をやわらげるように、あらゆる治療をして下さいました。 
                 その後もいろいろ合併症がでましたが、なんとか乗り切ることができました。 
                 腫瘍マーカーCEAも手術前は720あったのですが、退院する時は正常値2.9までさがり、先生はじめ医療スタッフの皆様方が本当に喜んでくださいました。 
                 これで、私も、生還できた実感がわきました。  
                 52日間の入院でした。 
              4.転移性肝臓ガンの再発 4回目の手術 
                 2001年8月10日 
                 腫瘍マーカーが上がりはじめ、肝右葉に4か所、肝左葉に2か所の再発が見つかり、T大学病院でラジオ波焼灼療法を受けました。 
                 3時間の手術でした。 
                 前の日、肺にも転移している事がわかり、また、誕生日でもありましたので、とても悲しい、つらい誕生日となりました。 
              5.転移性肝臓ガンの再発 5回目の手術 
                 2001年8月14日 
                 前の手術の時、生検を取った所1か所にガン細胞が見つかり、再びラジオ波焼灼療法を受けました。 
                 13日間の入院でした。 
              6.転移性肺ガンの手術 6回目の手術 
                 両側肺部分切除術 
                 2001年10月23日 
                 左肺に2か所、右肺に3か所、転移が見つかり、T病院で胸腔鏡手術を受けました。 
                 3時間の手術で11日間の入院でした。 
              7.転移性肺ガンの再発 7回目の手術 
                 左側肺部分切除術 
                 2002年2月22日 
                 左肺に1か所再発が見つかり、前回の手術の傷あとから、再び胸腔鏡手術を受けました。 
               簡単に病歴を並べてみましたが、度重なる手術を受けたことは、肉体的にも、精神的にも、ダメージを受け、進行ガンの転移・再発の告知を受けてからの悩み、苦しみ、つらさ、不安など、簡単には話す事はできません。 
                  
                 当初、家族も私も、こんな壮絶な闘病生活になるとは、思ってもいませんでした。 
                  
                 そして、現在は、腫瘍マーカーが上昇し、全身のPET(ペット)検査をしましたが、上がっている原因がわからず、いま、いろいろな部位の検査をしていますので、いつも診察のたびにヒヤヒヤしています。 
                  
                 どうしてがんと闘ってこられたかといいますと、色々な要因があったのではないかと思っています。 
              1.先生たちとの信頼関係が良好でした。 
                 K・K医療センター・T大学病院・T病院の先生たちは、私がわがままな患者にもかかわらず、最大限私の希望を聞いてくださり、治療方針・手術の説明も、私が納得するまで話してくださり、安心して手術と治療を受けることができました。 
                 先生たちは、私に精神的な安定を与えて下さっています。 
              2.看護師さんたちが親身に温情あふれる手当てをして下さいました。 
                 特に、有り難く思った事は、高熱でぐったりしている時に、聴診器を、手の内側で暖めてから、静かに当ててくださった看護師さんがいました。 
                 些細な出来事でも、患者サイドに立った気配りをして下さる配慮に、どんなにか嬉しく心が暖まりました。 
                 病状も和らいだ気がしました。 
               看護師さんは、人が生きる事のドラマに深くかかわる毎日ですので、気配りと機転のきく看護師さんが増えるよう願っています。 
              3.家族や姉たちが、惜しみない看病をしてくれました。 
                 北海道O市にすべてのものを置いて、また整理して、身体ひとつで上京してきましたので、心細かったのですが、病状の結果が悪く落ち込んでいる時も、同居している娘たちは、自分の大事な時間をさいて、本当に支えてくれました。 
                 看護師をしている娘は、私のために、仕事を辞め、付ききりで看病をしてくれ、心強く頼りになりました。 
                 私の実姉は、東京にいますので、子供たちには言えない愚痴を聞いてくれたり、病院食がすぐ飽きるのを知っている姉は、毎日、毎日手作りで好きな物を運んでくれました。 
              4.発病した時から漢方薬を飲んでいたので免疫力と体力が維持できたと思っています。 
                 これからも西洋医学と東洋医学を上手にミックスしてガンと共存していきたいと思っています。 
               また、病気になって、それまで気づかなかった事がまったく違う角度から見られるようになった気がしています。 
               地元の友人・知人は、手紙や電話でいつも、勇気づけて下さり、よき人間関係のありがたみもわかりました。 
                  
                 身体中、傷だらけで、切断された神経がチクチク痛んでいますが、これも時間とともに軽減されると思って気長につき合って行くしかありません。 
                  
                 ガンは、糖尿病や高血圧症と同じ慢性病のひとつとも言われつつあります。今は、3人に1人の割合で、ガンになる時代です。また、病気と共存し生きていける時代ですので、ガンが特別な病気とは思ってはいません。 
               普段は、日常生活にさしさわる特別な症状も、病院からの薬もありませんので、ほとんど病気の事は気にしないで生活しています。 
                 身体は病気ですが、心は病人ではないと思っています。 
               人は病気では亡くならない、寿命で亡くなる。そして、寿命はコントロールできないが、一日一刻は、自分でコントロールできると言われてます。 
               私も、寿命まで、病気に振り回されず、どんな状況でもそれに適応しながら自分らしく、どんぐりの会の人達や、周りの人達に支えられながら、新しい出会い・ふれあいに期待し、普通に平凡に当たり前の生活をしていきたいと願っています。 
               最後に、私が上京後、地元の自宅を守り、思う存分東京で治療をさせて下さり、また、今日のシンポジウムのため上京して、道路で会場案内のプラカードを持って、手伝ってくれています夫に、深く感謝しています。 
               つたない、取りとめのない話を最後まで聞いていただき、ありがとうございました。 
               
              「どんぐりの会」会員の方の体験談 
              
                 |