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どんぐり

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横浜市 匿名希望 58歳男性 食道がん 平成9年9月入会

 どんぐりの会を知りましたのは、平成9年8月1日付の朝日新聞の記事でどんぐりの会が設立10周年を迎えての講演会とシンポジウム開催の記事であったかと思います。
 簡単に自己紹介をさせていただきます。私は現在58歳、サラリーマンをしております。3年前、平成9年6月、55歳で、それまで30数年勤めておりました企業を定年退職し、現在は同系列の子会社へ再就職をいたしております。同居の家族は妻と次女の3人です。
 
 さて、本題の病気の件ですが、30歳から毎年人間ドックで健康チェックをしておりました。定年予定の9年6月にいつもの横浜の病院で人間ドックを受診いたしました。所定の検査終了後、ドクターの判定で「がん検査用のマーカーでは反応が出ておりませんが、バリウム検査の結果、中部食道つまり食道の中央部に腫瘍があるので、紹介状を書きますから、企業内の社員専用の病院へすぐ行き、精密検査をするように」と勧められました。
 私の両親は共にがんで他界しておりまして、がんは体質遺伝すると聞いておりましたので、がんには大変敏感になっており思わず、「もしかしたらがんではないでしょうか?」と、聞いてしまいました。ドクターは年配の先生で「細胞検査等しないと正確なことはわかりませんが、その可能性は大きい。が、仮にそうであってもステージのTまたはUではないか」とのことでした。「がんイコール死」というイメージが瞬間的に頭をよぎり、この時はついに来るものが来たかと頭の中がまさに真っ白になり、大パニック状態で、まったく判断ができない状況でした。こうも簡単にがんの告知を受けるとは思ってもいませんでした。

 話はちょっとずれますが、今年、今私が勤務しております職場の同僚2人が、1人は舌がん、もう1人は喉頭がんでそれぞれ手術をして、現在は職場復帰をしております。その2人から、昨今はいとも簡単に本人にがん告知をする、という話をそれぞれうかがいまして、これも医学の進歩なのかなというふうな感じがしております。

 話が元に戻りますが、企業内の病院に診断書とバリウム検査のフィルムを持参したところ、胃カメラ、細胞診、バリウム検査等の結果、即座に外科に入院するよう勧められました。そして6月の23日、同病院の外科病棟へ入院し、翌日から手術のための細部検査が行われました。患部は胃カメラの管が接触しただけでもかなりの出血があることが、テレビカメラのモニターでよくわかりまして、固形物の採食は一切禁止となり、出血が止まり手術ができるようになるまで、流動食と動脈からの高栄養補給剤の点滴が行われました。

 この間に本人の私はもとより、妻や成人しております2人の娘、それに兄弟姉妹の9人にインフォームドコンセントがかなり親切丁寧に行われました。現在の病状、手術、放射線治療、あるいは化学療法等の一般的な治療方法の説明、外科手術の場合の詳細な手順、それから黄疸、腸閉塞、術後予測される合併症、食べ物の食道内通過障害、手術後の痛み、嘔吐、腹痛等の後遺症、それから厚生省の平均によります手術後の生存率。これは例えば30日以内に生存している人が92%、一年以内73%、3年以内49%、5年以内42%とか、こんな数字でございました。それから術後の通院治療期間およびその内容につきまして、事細かにいろいろな資料を見せてもらいながら説明を受けました。「リンパ節転移」とか、手術の際に必要な「自己血輸血」とかの言葉もこのとき初めて知りました。また自覚症状もなく、人間ドックで早期に発見されたのは幸運の一語であるという話も、初めて伺いました。

 この結果、手術の危険性、放置した場合の転移の可能性などをうかがい、本人を含め家族共々、却って悩みが深まりまして、夜も眠れず毎晩のように病院の薄暗い廊下で1人ぼんやり物憂いにふけっておりました。いずれにしても今自分が死んでしまうことはできないと痛感し、妻と2人の娘のためにもここは頑張らねばと、その方法をいろいろ考え悩みました。
 食道がんは非常に転移しやすい病気であり、主治医から手術するならなるべく早い方がいいぞという決断を迫られ、自分でも死の恐怖もあり杞憂しておりました。妻や子供・兄弟姉妹とも相談し、セカンドオピニオンに相談することを決め、主治医にそのことを相談し、紹介状を書いてもらうようにお願いしました。他の病院で相談をしてきたいという依頼をするのはなかなか勇気のいることでした。快く紹介状を書いて下さいましたので、データを借り、新宿区内の大学病院と国立病院で、それぞれ名のある先生に相談することができました。大変ご多忙な先生にもかかわらず、紹介状の関係もあったのか、親切に約1時間づつ意見を聞くことができました。
 それとともに占いにも占ってもらったり、神社に祈願をしたり、たまたまおりました同病の友人、知人の看護婦さんにもいろいろ相談し、その結果を家族と相談し、放射線治療とか化学療法を断念し、一番確実だと思われる手術を企業内病院でしてもらうことに決断しました。

 こんなことをしておりましたために、一度予約しました手術日が延期になってしまい、手術日がなかなか決まりませんでした。手術の前夜は6人部屋にいたのですが、偶然か故意か、他の5人が他の病室・個室等へ移動して、たまたま1人になってしまし、何となく心細くなっておりましたが、ナースが30分に一度のペースで見回りに来てくださり、どうせ今夜は眠れないでしょうからテレビはつけっ放しでいいですとか、ずいぶん気を遣ってくれたのがとてもうれしかったです。その度にいろいろ気を遣った会話をしてくれたり、激励をしてもらい、とても気分が楽になり、時間のたつのがずいぶん早く感じられました。テレビでは野球の巨人戦が放送されており、野球にとても詳しいナースさんで、いろいろ楽しい話を教えてもらいましたが、話はほとんど記憶に残っておりません。また術後、使用予定の集中治療室のベッドが北枕になっており、これも方向を変えてもらったりもしました。

 食道の摘出手術は提携している大学病院の食道外科の先生と手術室の都合、および大安の日を選び、7月22日午前9時から17時まで8時間かけて無事行われました。手術後辛かったのは、取り付けられた人工呼吸器の苦しかったことと、術後6日目に麻酔を外されてからの激痛でしたが、痛み止めの処置をいろいろしていただき、気持ち的にずいぶん楽になりました。
 合併症防止のための歩行訓練は手術の次の日から、主治医、ナース、家族、酸素ボンベ、数本の点滴の大名行列で行われ、その成果で順調に傷が回復しました。2日目以降もナースが1人は必ず付き添ってくれ、とても心強かったです。企業内専用病院ということもあり、ドクター、ナース、ヘルパーさん等の仕事がきちっと分業化されており、かゆいところに手が届くように素晴らしい環境の中で過ごすことができ、大変幸せでした。

 手術から1週間後、喉頭部の縫合状況確認のため、ヨーグルトの試食が主治医、当直のナース立会いのもとで行われ、むせることもなくスムーズに新設された食道へ入り、一同拍手でした。また入院中迎えた誕生日には、思いがけずナースからお祝いの言葉、家族からバースデイプレゼントをもらい、ベッドの中で思わず涙ぐんで、生きている実感をしみじみ味わいました。当直のナース交代の時も皆に引継ぎしてくれ、それぞれナースからお祝いの激励を受けました。

 手術後の対応を含め、ナースの方々から本当に親切に面倒を見ていただきましたが、1〜2エピソードをご紹介します。
 一つ目に新人のナースさんが見えまして、患者さんに静脈注射をするのは初めてですが、看護婦同士で訓練しておりますのでぜひやらせてくださいとお願いをされまして、少し怖かった思いがありましたが、思い切って平静を装いお願いしました。
 二つ目は、アルコールとニンニクのとても好きな美人の看護婦さんがおりまして、気分の悪いときその方がそばへ来ると非常に気持ち悪くなり、嫌な思いがしました。とっても美人の看護婦さんでして、私もアルコールとニンニクが大好きですから、元気になったらご馳走するよと約束をして退院をしてきましたが、未だに約束を守っておりません。
 三つ目には、家族が激励の短冊をつくって病室の天井から下げてくれましたが、その中に元気になったらヨーロッパ旅行をしようというのがありまして、ドクターやナースからとってもうらやましがられ、早く行けるように頑張って治さなければと激励もされました。
 四つ目に、家族、兄弟友人が毎日入れ替わり見舞ってくれました。毎日欠かさずに病院通いをしてくれていた妻が、突然3日間顔を見せないことがありずいぶん心配しました。夏風邪で40度の高熱を出し、万が一自分に何かあったらどうしようとかと、随分悩んだと後から聞きました。また気難しい伯母が術後3日目に見舞ってくれた時は、対応にずいぶん疲れてしまいました。
 入院中の思い出といえば、神宮球場で恒例の花火大会がありまして、病院の屋上のサンルームからナースや家族と童心に返って花火を楽しんだことです。

 退院後の治療は毎週1度通院し、主治医から免疫強化静脈注射と経口抗がん剤、それに民間療法といわれておりますアガリクス、プロポリス、キトサンの服用を現在も続けています。外来通院は横浜の自宅からグリーン車で往復しましたが、体力の消耗が激しく、外科外来のナースに処置室のベッドで仮眠をとらせてもらったりして、ずいぶん助けてもらいました。なお免疫強化静脈注射は今年の3月でとりあえず中断し、現在は状況を観察中です。

 退院して出社までの2ヶ月間、食事後ダンピング現象で気分が悪くなり、飴玉をしゃぶりながら夜、妻と家の周りを1時間程度散歩するのが日課となりました。気持ちの悪いとき、飴玉と散歩の効果は抜群でした。また旅行会社に勤めております次女が、術後の傷の回復に効果があるといわれている温泉を探してくれまして、妻とホテルでしばらく投宿しましたが、最初の入浴時、傷痕へ針でも刺したような猛烈な痛みを感じまして飛び出してしまいましたが、徐々に慣れまして、傷口の痛みもずいぶん薄らいでまいりました。さらに気温の低いときや天候の悪い日、肋間神経を切断してある関係で、右脇腹の傷が今でも痛みまして、ホカロン等で温めるといくらか楽でした。

 また術後1ヶ月の入院生活を経て退院し、自宅療養後出社をしましたが、30年も通勤しなれているはずの東海道線のラッシュアワーのすごさには閉口でした。傷口を押された痛みや体力の消耗は相当激しく、辛い日々がしばらく続きました。食事もあまり進まず、入院から半年で20キロ体重が減少してしまい、会社へ行ってもフラフラの状態でした。しかし平成10年になり、食欲も少しずつ戻り始め、術後3年後の最近では体力も随分ついてまいりました。おかげさまで今年の7月で手術後丸3年を元気で迎えることができました。その証に今年の秋は念願のヨーロッパ、今回はスペインでしたが、家族旅行をしてまいりました。

 また手術をしてくれた主治医が米国留学から今年の5月に帰国され、ご挨拶に伺いましたところ、元気そうですねと、たいそう喜んでいただきました。
 あと2年で再発安全圏といわれている術後5年になり、また年齢も60歳になりますので、元気で頑張り、60歳定年後は妻と旅行を大いに楽しみたいと思っております。
 また2ヶ月間の自宅療養期間中に遺言もしたためたり、尊厳死協会へも加入したりもしました。人が死ぬという現実も少しは見つめ、単なる延命治療の禁止を考えたりもしました。

 今回の病気を経験した中で、ドクター、ナース、どんぐりの会の皆さま、そして家族、兄弟、友人との接触、励ましがどれほど力となり、生きる勇気を与えていただいたか、ひしひしと感じております。人間は1人では弱いものです。どうぞ今後とも皆さまのお力添えをよろしくお願いいたしまして、発表に代えさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。
                  

 

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