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 体験談

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富士市 坪井南風子さん 乳がん 平成12年10月入会

「少しの病と共に今を過ごす私は、弱虫なガン患者・・そしてクリスチャン。」

 最初の手術は36歳のときの外耳道骨腫でした。入院中、婦長さんが、毎日一人一人のベツトにきて今日の調子は、どうですか!と声をかけてくれるのです。
 初めての入院で、ハイ"健康です"と返事したら、健康な人は、ここにはきません、と言われ、「ァー!私は病人なんだ、・・」と、そのとき実感しました。教授執刀の、手術室で、とても怖く、不安で、全麻が、効き始めた頃"神様お守りください"と主の祈りを心の中で、唱えました。私は、幼児期からキリスト教会に通って居り"神に祈る、感謝をする、"と言うことは、生活の一部なのです。2回目は、平成8年の、子宮内膜症からの、子宮筋腫、右卵巣膿腫摘出の手術で、執刀主治医である、助教授から、腸が膀胱、背中にまで、癒着していたようで・・・こんな身体で、大変だったわね!!と慰めてくれました。
 でも、半年後には残っている、左卵巣がはれて、7・5センチの大きさになり、注射器で290ccの、水を、抜く処置を、受けたのですが、とても痛く、身体が、診察台から、飛び上がってしまい、辛い治療でした。

 平成9年、始め、胸にエクボが、出来ていることに気がつき ガンかもしれないと思い、まず、ガン保険に入ってから 外科を、受診しましたらやはり、ガンでした。
執刀医の、助教授から、手術に、ついての説明を、うけまず左の腫瘍摘出から始め、病理検査の間に、右摘出を行う、とのこと・・・腫瘍は、2・8センチの大きさの、スキルス性硬ガンで温存も出来ますが ガンがとんでる場合、再手術になり執刀医は、全摘の方がよいと思います、とのお話でした。 
 私は、再手術は、いやなので全摘手術を、うけました、3回目の手術です。全麻が、きれはじめ、酸素吸入を、しているときから強い痛みと共に、吐き始め、2日間受け皿を手元からはなせず、"神様 私を守ってください" と祈っておりました。退院間近の日、執刀助教授から、全摘したほうは、やはり、ガンがとんでいましたと、説明をうけ、全摘しておいてよかった!とおもいました。

 退院の日 夫と行った築地の公園のコスモスがきれいだったこと、わすれません。その後、私の、大好きな、九州教会巡りの、旅に夫が連れて行ってくれました。
 私はシスターに子供時代より憧れており、病院にシスターのお姿があると今日は、良い日だと思い、診察に見えられたであろうシスターに、"こんにちは"とお声をかけてしまうほどです。ザビエル教会、浦上天主堂、シスターに教えて頂いて出かけた神の島教会。色々な教会を訪ね、礼拝に、参加し、良いときを、過ごすことが出来、今生かされていることに、感謝しました。
 私は、両親共、狭心症で、乳ガン術後1年も、経たないのに、私にも胸痛が起こってしました。もうひとつ、診療科が、増えてしまったのです。
1日のホルダーで、しつかり不整脈が出、次から次への病気で私はもう大変です。
13年6月には、私の年齢では、1・5センチの卵巣が、7・5センチになってしまい年内手術と、いうことになりました、卵巣は、10センチになると、ガンを疑うとの事。 前回の手術で3回目の開腹は、リスクが、高くなるので、取れるものは、とっておいたとのことでしたが、仕方がありません。    
 私なりの、平常心を保つために、"神様もう少し私に、元気をください・・私を守ってください。"と祈ります。頭では、理解できることも・・心が、納得する、なかなか難しいことです。その間にも首の血管の側には、リンパ腫、甲状腺腫、境界型糖尿病、寒い季節には、胸膜炎が出てきてしまいました。そしてすごいものが、現れました。13年の7月始め頃、風邪をひいたのでもないのに、咳がではじめ、変だなと、思っておりました、肺ガンで、亡くなった父も7月頃から咳が、出始めて、おりましたので、私も、肺にきたのか!と思いました。
 風邪薬を、飲んでも、咳止め点滴をうっても、咳が止まらないのです、昼間は、良いのですが、夜は、大変です、恐怖の夜を、どうやって過ごしたら良いか!  自分なりに工夫をしても、喘息のほうが勝ってしまうのです。

 喉は、ヒューヒュー・・身体を丸め、強い咳き込みが、くるために吐いてしまうのです、夜寝るとき、洗面器に、氷を入れ発作に備えるしかありません、気管に詰まってしまう痰をどうしたら楽になるか、何度となく自分で、切開したい!と思ったほどでした、横になって眠ることができませんので一生懸命聖書を読み、祈ります・・・"神様まだみもとに、逝きたくありません、私を助けてください・・・もう少しの間、私に元気をください。" そしてとうとう限界がきました!喘息の発作と胸痛が同時にきたのです。  喘息になつて 生きる!ということの大変さを、体得しました。
 呼吸器科での肺機能検査・・一回目は、大変でしたが二回目は、薬が入り、その瞬間から楽になり、アー!これが病院の違いなんだ、と実感しました。一つ一つの病気を受け入れる・・・弱虫な、私には、限界があります、そんなとき、夫をいじめて、憂さをはらして、おりますが 本当に体調が、悪いときは、それすら出来ません・・じっと体調が、回復するのを待つしかないのです。   
 でも喘息のおかげで、良いことも、ありました、それは、婦人科の手術が、中止になったことです。喘息のためCT・MR・などの検査で造影剤が、入らなくなりました。
 左仙腸関節に影があるためか、喘息のためかわかりませんが、14年3月から抗ガン剤が、毎日になってしまい喘息の薬・狭心症の薬・・・もう大変です。    
 喘息の治療薬に、ホクナリンテープがあります、付け始めのころは、副作用としてのコムラ返りに悩まされ・・・突然色々なところにコムラ返りがおこるのです。それもこの頃では、身体が慣れてきたようで、最近明け方に、胸痛がおこり、これはまずい・・・と思っているうちに又眠ってしまいました。呼吸器科でその話をしましたら、ホクナリンテープが、胸痛の発作を和らげたようです。 病気と共生して、今を生きる、そして、今生かされていることを、神様に感謝し、出来る範囲で、人の役に立ちたい!と思っております。

 ドングリさんは、2000年のシンポのとき、医大の、ソーシャルワーカーに教えて頂いて夫と共に、入会させて頂ました。ドングリさんて教会のようだ! と思いました、それは新しい人達をまるで、随分前からの、お友達ように自然に受け入れるのです、お互いの痛み、深い悲しみがわかる、分かち合えるのです、これはとても素晴らしい、そしてとても大切な、ことのように私は、おもいます、その中でお互いに元気を分かち合う、癒し合うのです・・・ハレルヤ!私はもう感謝で一杯です、少しずつ体力の落ちてきていること、感じて居りますが出来るだけ夫と共に参加させていただきたい、と思っております。最後に私が、辛く悲しいときよく読む聖句です。
 何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある、生まれるとき、死ぬとき、植えるとき植えたものを抜くとき、黙するとき、語るとき、愛するとき、憎むとき、戦いのとき、平和のとき、神はすべてを、時宜にかなうように造り、また永遠を思う心を人に与えられる、それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。

 

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