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どんぐり

 体験談

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葛飾区 Sさん 52歳 女性 大腸がん

 皆さん、こんにちは。大腸がんの手術を受け、2年半経過しておりますSです。どうぞよろしくお願いいたします。
 今日、このシンポジウムで私のがん体験の話をさせていただくことは、とても不思議なご縁があるのです。平成9年の秋に、どんぐりの会創立10周年を記念して開いたシンポジウム「がんとともに生きる」を一番前の席で母と一緒に聞かせていただきました。もちろんその時私は、がん患者ではありません。その1年前に父を食道がんで看取り、遺族でした。母がどんぐりの会に入会していたことで、参加する機会を得ました。

 その講演会は生涯忘れることのできない講演会でした。がん体験者の2名のお話は、がんの告知をしっかり受け止め、手術や辛い治療、そして再発などの不安や今なお進行形の病状を抱えていても、明るく生活をしている姿には感動をいたしました。「今まだ死ねない。」「治るんだ。治すんだ。乗り越えるんだ。」と前向きに生きて、そして自分自身の病気治療のことを勉強し、克服している姿は今でも私の脳裏に焼きついております。
 また講演者としてホスピス医の山崎章郎先生のお話の中に「ホスピスから退院して数年経った方で、ハワイに旅行されている方もいますよ」とお話していました。私はホスピスは終末期なんだと思っておりましたが、そうではない方もいらっしゃることも分かりました。

 そして先日、どんぐりの会でホスピスセミナーが行われ、山崎先生と再会し、お話を聞くことができました。ホスピスから生還したその方は、現在お元気でがんを卒業なさったとうかがい、うれしく励みになりました。

 また前回平成10年11月にがん体験者の笑福亭小松師匠と生きがい療法の伊丹仁朗先生、そして会員の方の体験談、「がんと共に生きる人々」の開催の時、私は術後半年で満身創痍、ボロボロの体と心で会場におりました。その時私は結婚25周年目にして離婚というピリオドを打ち、人生のどん底でした。そしてその会から大きな勇気と癒しを得ました。病気への不安、そして1人の人間として自分らしく生きる知識などは、患者会や講演会に出向いて、同じような体験を乗り越えた人たちの話に耳を傾けることによって共感し、支えあい、傷ついた心を癒していただきました。そしてそこから少しずつ今後の人生に前向きに取り組めるようになってまいりました。

 前置きが長くなってしまいましたが、私も「がん 死の淵からの生還」を現在歩んでおりますが、自分自身ががんの告知を受ける半年前に聞かせていただいた貴重な体験談のおかげで勇気を持てて、手術を受け、入院中にどんぐりの会の会報を読んで希望をもち、退院1ヶ月後にはどんぐりの会の例会に参加することができました。心の支えとなったどんぐりの会、そしてシンポジウム、今この場にいるご縁に感謝しております。

 病歴ですね。私はもう10代後半より血小板減少の血液の難病を患い、大学病院とは縁が切れず、薬もずっと飲んでおりました。とはいっても結婚もし、娘2人も授かり、仕事をもち、毎日多忙な生活をしておりました。ここ数年父の看護と看取りや、仕事のこと、そして夫婦の心のずれなどで、いろいろ思い悩み、体調がすぐれず、更年期を迎えておりました。たまたま2人の娘が受験期だったので、それが終わったら4月には入院して精密検査を受ける予定でした。

 平成10年2月より腹痛が始まり、インフルエンザか肝臓かもしれないと、通院でいろいろ検査をしておりましたら、3月に血便が出て、腸の方かもしれないということになり、内視鏡検査を受けました。その日は50歳の誕生日の日でした。肛門より20cmぐらいのところに6〜7cmの腫瘍がすぐに見つかり、それ以上先にカメラは入れず、組織をとり、すぐに検査を止めました。その場で先生から説明があり、この腫瘍は手術でなければ取れないので、すぐに入院するように言われました。来るべき時が来た、厄介なことになったな、困ったなとは思いましたが、冷静に受け止められました。ただ不安は、もう肝臓に転移しているかもしれない。また人口肛門になってしまうのではないかとも思いました。そして当時血小板もかなり減っておりましたし、狭心症など厄介な病気があるので、たいへんな手術になり、いろいろな科の先生に迷惑をかけるし、しんどい事だな。長期の入院になりそうと、相当覚悟しなければいけないのかな。でも落ち込む事はありませんでした。それは娘たちの入学も決まり、新たな出発を迎えていたときだったので、親として肩の荷が少しは軽くなっておりました。

 3月末に内科に入院し、血液の病気の治療を始めました。そして入院して10日目、外科の先生が内科のベッドに来てくださいました。最悪の状態だし、厄介な患者で、きっと嫌な顔をされると思って、身を小さくして挨拶しました。4人グループの年長の先生が開口一番、「やりましょう」と、この一言で本当に救われました。もちろんカルテを見て検討の結果だとは思いますが、余分なことは何一つ言わず、受け入れてくださいました。もう本当に感謝感謝でいっぱいでした。そして一日も早く外科病棟に移っていらっしゃいと言い、4人の先生をフルネームで紹介していただきました。この先生たちとの出会いで不安はなくなり、もう元気100倍、勇気がわいてきました。一日も早く手術ができるよう、心待ちになりました。
 そして外科病棟に移り、初めての回診の時、先生は「お待ちしてました」の一言。手術に向けて検査の説明などは他の先生からお聞きしたりして、主治医との会話は殆どありませんでしたが、なんと素晴らしい先生でしょう。信頼度120%。後は先生の指示に従い、絶食そして気力を充実していれば、きっと手術は乗り越えられると確信しました。

 がんの告知、インフォームドコンセントを家族と一緒に聞きました。その場所には私を担当して下さる看護婦さんが同席して下さり、心強く思いました。患者にとって入院中に信頼できる看護婦さんが身近にいる、こんなに心強いことはありません。心配をしていた肝臓の腫瘍は良性の血管腫とのことで、転移ではありませんでした。ただ血液の病気でステロイドを長期間服用しているため、縫合不全とか合併症の心配があること。そして念のため、子宮も取るかもしれない。でも肛門は大丈夫、残りますよ。あとは開けてみての判断です。お任せくださいと、丁寧に図解で40分ぐらい時間をかけて説明してくださいました。
 そして先生は治癒率や余命などを数字では申し上げられませんと言われました。私自身医学や医療の進歩のおかげで生かされていることを身をもって体験しておりますから、今度のがんも手術を受け、治療すれば、死病ではない、そう思っておりました。手術を受け、退院したら一番最初にどんぐりの会へ行こう。これが私の入院中の支えでした。

 手術の経緯。これは家族から後に聞かされた話でした。驚きました。開腹してあまりのひどさに先生自身驚かれたようです。今時こんなに我慢している人はいない。無医村にいたわけでもないし、珍しい。そして手術は中止して閉じようと思ったそうですが、先生方のご協力で悪性のものや浸潤しているところをすべて取り除き、そして術後の合併症や縫合不全の危険が多いので、予定外の一時人工肛門を小腸に作り、無事手術は成功しました。
 説明を聞いた家族は誰一人言葉も出なかったし、主人は先がないと思ったようです。それでも家族は私の元気な良い声を聞き、安心した様子なので、帰るように言いましたが、主人は今晩は付き添うとの事でした。その晩は痛みと苦しみで、何かおかしいな、何かおかしいな、乗り越えられるかな、どうかなとも、体中というか頭も混乱していました。私が苦痛を訴えると主人も、「困ったな、困ったな」と苦渋な顔で看護してくれました。というのはここ数年主人とのトラブルがあり、この先人生を添っていけないと思い悩み、子供たちの進路が決まったら別れたいことを昨年の秋に申し立てていた矢先の手術でしたので、そばに付いていてくれる主人に対していろんな思いが頭をめぐってきました。おそらく主人も同じ思いだったと思います。
 それでも3日目からは状態も落ち着き、厚紙をはがすように回復してまいりました。予想よりひどかったので、腸を2箇所にわたり70cm切り、子宮も左の卵巣もリンパ節も取ったこと、小腸で人工肛門が造設されたが、それは一時的で肛門は残っているので、半年ぐらい先に閉じることができると説明を受けました。先生もあんなに疲れた手術はなかったと言われました。

 術後、看護婦さんたちには大変お世話になり、また勇気付けていただきました。特にストマの取替えの時「Sさんのストマはかわいいね。形がいいね」と来る看護婦さんが皆誉めてくれるんです。そしてその話を先生にしたら、若手の先生が「おれが作ったんだよ。看護婦さんが誉めてくれてるか。おれも自画自賛しているよ」と、満足そうに処置してくれていたんですね。ところが私が初めて自分のストマを見て驚きました。「どこがかわいいの、何これ」と、もう目を背けてしまいました。でも看護婦さんたちが励ましていてくれたことに気づき、「私のストマちゃんよろしく」と言って、あいさつしてなでたんです。小腸のストマは四六時中水様便が出ていて、取り扱いに本当に苦労しました。でも落ち込まずに仲良くやってこれたのは、本当に看護婦さんの励ましの一言のおかげだと思います。 8日目に水分が許可され、翌日から流動食が開始され、毎日食事の基準が変わり、17日目には普通食になりました。術後28日目に退院することができました。そして退院にあたり、主治医より今後の治療と見通しを聞きました。「この1年を大切に暮らしなさい。状態が安定したらストマを閉じられるから期待して待っていましょう。病理の結果はがんは10cm、子宮卵巣には転移なし、リンパには不明」との説明でした。がんが10cm、「私末期ですか」と聞きました。「自分で末期と思いますか」「思いません」「それでいいじゃないですか」との答え。まあいいか、悪いものは取ったんだし、先生と自分の心と身に任せて、くよくよせずにがんばって生き抜こう。生き抜いてやろうと開き直っております。
 そして抗がん剤はミフロール、クレスチン、そして整腸剤の服用、もちろん持病の方ではプレドニンと、あと狭心症予防のお薬などを服用しておりました。そしていろいろな身辺整理が済み、1年後念願のストマを閉じる手術を受けることができました。何とラッキーなことに何のトラブルもなく成功しました。ストマを閉じたことで再発の確率が高くなると聞かされましたが、あとは神のみぞ知る。生かされていることに感謝して暮らしていこうと思っております。

 現在の生活ですが、万事順調と言いたいところですが、いろいろ病気もあり、不安で落ち込む日もあります。退院後何度か修羅場もあり、傷の痛みより心の痛みで辛い日々でしたが、命だけが欲しい。子供たちのために生きたい。ただそれだけを願いました。
 先月9月には定期検診を受けました。結果はこれから聞きに行きますが、クリアできると確信しています。今は大学と高校へ行く娘と母と女4人の穏やかな日々を送っております。娘たちは青春時代をエンジョイし、将来の夢を聞かせてくれて、私に生きる希望を与えてくれております。母は夫をがんで看取り、今一人娘の私が闘病生活で再発や転移の不安や愚痴を受け止めてくれております。そして「病気と寿命は別よ、あなたには寿命があるのよ」といつも励ましてくれております。

 がんになり、手術を受け、悪いものを取り、また大切なものを失ってしまいましたが、がんを得たおかげで、数多くの目に見えないものをいただきました。がんになって良かったとはいえませんが、大事な事に気づかせていただきました。残りの人生の1日1日を、心を込めて納得のいく生き方をしよう。どう生きたかを娘たちは見ている。いつか来る死、それまでは免疫力をアップできる楽しいことを探し、自分らしく生き切れるよう努力していきたいと思っております。これからが正念場、「がん」というパートナーと共存し、第2の人生、希望を持って歩んでまいります。ありがとうございます。

 

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