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どんぐり

 体験談

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Mさん 「あくまで手術を拒否した夫でした」

国分寺より参加させていただいて、今回お話させて頂きますMです。主人が亡くなったのは、平成九年五月二十日でした。59才でした。いま三年を過ぎました。

<五年前の自覚症状>
 主人が体調を崩し、その自覚症状を感じたのが、平成七年の夏頃でした。痛みが強くなったようですが、主人は歯がほとんど無いような状態で、「歯からくるリンパ腺のハレと痛み」と言っていました。八年の正月には食事も喉を通らなくなって、痛みもひどい状態でした。やっと私に連れられて腰を上げ、近くの耳鼻科を訪ねたのが一月二十日でした。紹介状を書いてくださったのに、それでもなかなか病院へ行かなくて、三月二日に紹介状を持ってやっと病院を訪ねました。その日の夕方、至急入院して検査をされますようにとの連絡がありました。十二日に入院の準備をしていた朝七時頃より、精神的なストレスからすごい下血が始まりました。5回くらい下血があり、病院のエレベーター前で意識を失って、そのまま入院しました。下血は15回、二日半 に渡って続き、輸血による治療でなんとか止めることができました。

<このまま一緒にとさえ?>
 その後十日間くらい入院していましたが、主人が言うには、考えるところあって、無断で退院をして帰宅し、多量のお酒を飲んで、風呂場にて自殺を試みました。けれども、なかなか出来なかったようです。風呂場には血の固まりがいっぱいあって、私と息子で大変な思いをしたことを思い出します。初めて息子が大きな声で、主人と喧嘩をしました。三人ともあまりの辛さをどこにも向けるところがありませんでした。そのことがあってから、ますます病院へ入院しようとしなくなったので、私がK市のY先生のホスピスを訪ねて説明を聞いたり、また何軒かの病院を訪ねまわったりしました。けれども、なかなか話がまとまらず、本人も腰を上げようとはしませんでした。でも痛みはひどくなり、ほとんど口の中が腐ってしまった状態になりました。本人と私との間は食い違いばかりで、このまま一緒に死のうかとさえ思うこともありました。

<ガンの進行>
 四月七日午後、舌のガンが進行して出血をし、洗面器にいっぱいになってびっくりしまして、そのまま救急車で前の病院へ行くことになりました。けれども、病院の方で担当医がいないので、受け付けてくれませんでした。そのためM市の大学病院に行きまして、そこで点滴など処置していただきました。それから、やはり病院間の色々の事情があるようで、急に来た患者を入院させることは出来ないとのことで、担当の先生が一時間ほど前の病院と話し合いをして下さいまして、結局は止血剤を点滴したまま前の病院へまた戻ることになりました。担当の先生は大変無責任な病院だったと怒ってらっしゃいました。

<手術を受けず、このまま死を迎えたい>
 元の病院に入院して、そして落ち着きが戻ったところで、主治医と二人の先生、看護婦さん、そして主人と私、そして息子との話し合いがもたれました。その結果、主人は手術を辞退したいといいました。主治医からは、その場合は余命があと三ヶ月、手術をすれば三年から五年は生存するだろうけれど、必ず再発はするということでした。手術は、食道と呼吸器官を分離している咽頭を切除する、胸の部分の肉で舌の型をとって形成する、顎は金属で作る、ということでしたが、もちろん声は一切なくなるとのことでした。聞いている私さえ辛くなりました。
 その後も何度も手術を勧められましたけれども、主人はこのままで死を迎えたいという気持ちが変わりませんでした。結局、手術の代わりに、放射線治療を三十回と、抗がん剤の治療を三回やりました。髪の毛が抜けてしまいました。その後、生え変わったのですけれども、完全に生えることはありませんでした。治療の結果、もともと頑強な体だったのでしょうか、少し良い方向に向かいましたので、七月には自宅療養が出来るようになりました。

<安らぎの時間、そして再入院>
 がんがのどから下のものですから、食べることは出来ませんで、流動食を病院からもらって流し込んでいました。それから、一日九錠のモルヒネを常用しないと痛みは取れない状態でした。それでも痛くて、その他に180mgのモルヒネの坐薬もお尻から入れて、夜はほとんど両方を使っていました。
 これらを自分で管理しながらも、七月から九年の正月までは、私達夫婦にとっては、副作用が無い状態で居られれば、本当に静かで、安らぎの時間をいただいたような気持ちでした。本当に有り難いことだと思っていました。兄弟や友人、その他色々な方が訪ねてくださって、大変喜んでいました。
 でも九年の正月を過ぎまして、一月末にはほとんど舌の先端が大きく腐った状態になってしまいました。唾液が流れたままっていう状態でした。モルヒネの所為だろうと思うのですが、ギクとかボーンと音がして、体が硬直して飛び上がることがしばしばでした。そして、身体を横にして寝ることが出来なくなりました。ソファーをいっぱい置いて、それにもたれて少し横になった感じで、ほとんどそのままの状態でいました。そのうち薬を飲み込むことも出来なくなったり、あとは歩行困難となって、再入院しました。
 それから呼吸が出来なくなったので、すぐに胸のところに穴をあける手術をしましたけれども、手術が上手くいかず、三回もやり直しました。それでも、点滴をしながら液が出てくる状態でした。顎の下の首に穴が開いていまして、ガーゼを十枚くらい詰めるのですけれども、それが全部うみでいっぱいになり、浴衣の上までしみ込んでくる状態でした。本当にもう毎日毎日、三時になると必ず先生が来てガーゼを取り変えるのですが、その時は、もう見ることも出来なかったですね。

<死との向き合い>
 一月に入院した後は、主人は目の前の死と向き合い、自分との闘いでした。気管を切開して言葉を話すことが出来なかったこともあって、一人になることがとても淋しいようでした。私は仕事をしていましたので、五時に主人のところに来て、八時までいました。そのうち、一人でいることがますます辛いらしく、十二時近くまで帰してもらえなくなりました。言葉をなくしてしまったために、連絡が出来ないものですから、携帯電話を買いまして、主人が私の携帯に電話をして、一回叩くと今日は夕方来ていい、二回叩いた場合はお昼から来るように、三回叩いたらすぐに病院へ来てくれという合図にしました。一人でいるのが厳しいのか、私が仕事へ行っては連絡があって、よく病院行ったものです。
 その後、四月の中頃になりまして、半分意識がなく、目も耳も聞こえなくなりました。なぜなのか分かりませんけれども、暴れるためにベッドに手足をくくられ、夜には熱が四十度近く上がり、氷を脇の下、足の付け根というところまで、ほとんど毎日しながら熱を引かしていました。この頃より看護婦室のモニタに血圧や心拍のグラフが出てまして、毎日それを見ると、今日か明日なのかと、私自身も死の恐怖におののきました。本当に死との闘い?、それを見ながら、本当に辛い思いをしました。

<意識のない状態>
 五月の連休頃からはほとんど意識のない状態が続きました。今度は手足がおまんじゅうのごとく腫れ上がり、そして、本当に寝たきりで意識がなく、寝返りも打つことが出来ないものですから、背中、お尻、足と、床づれができてひどくなりました。お尻の床づれを看護婦さんが治療してくれるのですけれども、意識がないのに、ガーゼをはぐ時に、とてもじゃないですけれども痛そうな顔をするのです。でも相変わらず流動食を流し、モルヒネの痛み止めの点滴を四時間おきにしていました。本当に痛みが取れているのかな?と辛い思いをしました。

 ほとんどのガン患者さんというのは、最期まで意識があって、亡くなる直前には奥様に一声かけるとか聞きますけれども、うちの場合は声もでない、目もあけないし、意識もないという状態で毎日向き合っているわけですから、辛い日々でした。なにもかも点滴も止めて、そのまま静かに寝かせてあげたいと思いました。一切の延命処置はしないということで、お医者さんもそれを忠実に守ってくださっていました。

<静かに眠ったまま>
 それから五月の二十日午後、主治医の先生と女の先生で、ガーゼの取替えに来てくださいました。私は前の日から、ちょっと何か、病院へ泊まりたいという気持ちがあって、前の日から病院に泊まっていました。朝起きて午前中には、私は主人の髪の毛を洗ったり、少し顔をこすったり、口や顎はほとんど触れませんでしたけれども、上の方の髭剃りを少ししてあげたりしていました。そうして一段落して落ちついていましたら、二時頃先生がガーゼを取替えに来てくださいました。私が廊下に出た途端、「Mさん!」という声がしまして、飛んで入りました。それで、一度も目を覚ますことなく、先生方、看護婦さんなど大勢の人々の前で、静かに眠ったまま息を引き取りました。病院の方々には大変、最善を尽くしていただきまして、感謝しています。
 未だに病院のところをバスにて通りますと、本当に辛くて涙してしまいます。大切な人を亡くした悲しみというのは、同じ体験をした人でないと、分からないと思います。こうしてお話させていただくと、泣いてしまいますけれども、それでも時間と共に知らず知らずに悲しみを乗り越えてきているようです。一年半の看病でしたが、最後までちゃんと看られたということが慰めです。もしかしたら三年間生きられたかもしれない?、という思いは消えませんけれども?。
 今日は私の体験をお聞き頂き、ありがとうございました。(2000・8・27)

 

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